「とにもかくにも旅に出よう」
と思い立ってからというもの、X年勤めた会社の退職手続きや諸々の旅支度の手筈など何ひとつ整理できていないうちから、出立の日は「彌生も末の七日」に決めていた。
江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉が『おくの細道』の旅に出た日である。
(註:元禄2年3月27日は現在の太陽暦になおすと5月16日にあたるが、止まない漂泊への憧れとバイクツーリングに適した季節を考慮した結果、そこには目を瞑っている。何卒ご承知おき願いたい)
地味な見た目に反して大胆不敵で無鉄砲、文章創作が趣味のインドア派でありながら人見知りには程遠い自分が日本周遊の旅を構想し始めたのは、実は最近のことではない。
もともと見知らぬ土地に行くのは好きだった。
会社員として収入を得るようになってから、月に一度は出掛けていた国内ひとり旅。ふらりと異邦を逍遥する習慣は、3年前にスーパーカブと出会ったことで自由度を増した。
バスや電車の時刻表に急かされず自力で移動できる「足」を手に入れた自分は、2年前の夏には長野一周ツーリングに赴き、宿泊地を転々とする逞しさと長距離走行の自信を掴んだ。ちなみに転倒による両膝の打撲も経験した。
そして、昨年秋に実行した7日間の東京~徳島ツーリングがこの旅立ちの決定打となった。
「行ける」と思った。
日本各地でさまざまな人と景色と物語に触れ、知らないことをたくさん知った。
「むしろ今行かない理由がない」と思った。
仕事にも日常にも不満はなかったが、衝動を先送りにするメリットもなかった。
海外渡航でもなければ秘境探検の旅でもなく、SNSやライブ配信で公開する見世物でもない、純粋な自己満足の旅がしたいと願った。
荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、自分は旅人になりたかった。
これにはとあるご縁で手直ししている自作小説に触発された部分も大いにあると思う。
X年間実直に働いてきた自分にはささやかだが軍資金があった。それゆえ体力自慢の学生に多い貧乏旅行や、走行距離を稼ぐのに必死になりそうな短期日本一周ツーリングとは別のスタンスを選択した。期限はまず1年。旅程は、貯金が尽きない限り行ける所まで――自分は、カブの速度と自分の歩幅で、知らないを知る旅に出ることにした。
旅立ちの決意を固めたのは2023年5月21日。
自主制作文学作品の展示即売会《文学フリマ東京36》で上述の宣誓を書き綴ったA6用紙を手に取ってくれた方々に、この場を以て小声で伝えたい。自分は確かに約束を果たしたよ、と。それから、当時の決心に立ち会ってくれてありがとう、と。
・・・
今となっては随分昔のことのように思える昨年の暮れ。
自分は勤めていた会社の規程通りに、退職3か月前に上司へ意向を伝え、2か月前に退職届を提出した。世間一般の退職スケジュールより多少前倒しであるように見えるのは、自分が会社の借り上げ賃貸(社宅)に住んでいたからで、そのため退職と同時に住居がなくなった。
社宅を出るにあたり、蔵書から家具まですべて売り払って本当に必要なものだけを残したら、衣類を含めて120cmサイズの段ボール2箱にすべてが収まった。たったこれだけか。我ながら、所持品のあまりの少なさに終活を連想した。それを実家の一隅に置いてもらうために郵送したのが今年の2月半ば。追って住民票も実家に移した。
いっそ潔いほど正直に告げたからだろうか。旅に出るので辞めます、なんて突拍子もない退職理由を、直属上司と事業部長は意外にも柔軟に受け止めてくれた。
仕舞いには「やっぱり北海道からスタートするの?」といった質問も投げかけられたが、その声色にはどこか部下の決断を面白がっているような感じがあった(当然ながら北海道から南下するルールなどない)。また、会社員を外れた生き方に挑戦する者への興味関心、その奔放な発想に対するほんの少しの羨ましさもちらりと垣間見えた。
想定外にあたたかい応援を頂戴した自分は、後任社員に現場業務をしっかり引き継ぐことを約束し、PC画面越しのリモート退職面談を終えた。
自分が従事していた仕事について頁を割くつもりはないが、当時自分が配属されていた部署はブラックには遠く及ばないクリーンな環境で、顧客担当者にもプロジェクトの同僚にも恵まれた平穏な現場であった。
……と、書いてみるものの、実はこの同僚というのは1人しかいない。
自分が所属していたプロジェクトは2名体制の少人数チームであり、両者で密に連携を取り合って仕事を進めていくタイプの業務だった。そのためプロジェクトを同じくする相手によって現場の雰囲気や成果物の品質が大きく変動するのだが、幸運なことに、自分の相手は常に、自分よりはるかに有能で尊敬すべき方ばかり――端的に言うと、同僚である彼ら彼女らは自分の至らない部分を補填して余りある先輩社員ばかりであった。
ぶっちゃけてしまえば、自分は現場着任歴こそ長かったが、プロジェクトではいつも相対的な若手社員枠として甘い汁を啜っていたわけだ。
過去の同僚――異動によりともに現場を回した接点を持ちながら、自分より一足先に退職された先輩社員のお姉様方は、現在はそれぞれ競合他社や海外で活躍されている。彼女らはどこから自分の退職情報を入手したのか、退職理由を知るや否やグループLINEで激励を飛ばしてきてくれた。業務外でも多くのことを教えてくれた姉貴分的存在。お金に困ったら支援してくれるというありがたい言質まで取ったので、有事に備えてここに貼っておく。
退職当時に一緒に業務を進めていた最後の同僚は、2人の子どもがいるお父さんで、どこまでも正しく穏やかな男性だった。異性でしかも若造の自分に適切な距離感と温度感をもって接してくれた、社会人のお手本のようなサラリーマンだ。性格に関してはやや心配になるほど心優しい方で、頼まれ事を断っているところを見たことがない。
ただでさえセクハラやパワハラの指摘が厳しい昨今、彼は自分がNOと言えるよう十分すぎるほどの配慮を以て2人だけの送別会を開いてくれた(つまりはサシ飲みだ)。
送別会は最終出勤日の業後、いつかの昼休憩のときに話題に上がった新宿のもつ鍋の店で行われた。彼は、自分が抜けた後の人員の補填・育成や着離任雑務で多忙を極めているはずなのに、そんな疲れのひとつさえ見せず、生ビール片手に熱く自分を送り出してくれた。
そして京王線・相模原線分岐駅での別れ際、
「……迷惑だったら捨ててもらっていいのだけど」
と、控えめな台詞とともにストラップ型のお守りをくれた。
聞けば、交通安全の御利益がある神社を近所で探してみたとのことだった。
「自分、家族以外の人にお守りをいただくのは初めてです」
「僕も、家族以外の人にお守りを買ったのは初めてだよ」
彼はなお、年下の自分がNOと言えるように優しすぎる間をおいて微笑んだ。
自分は驚きと喜びと、嬉しい反面なんだか恐れ多いような尊い気持ちでお守りを受け取ると、それを両手で包んで頭を下げ、X年勤めた会社での社会人生活を終えた。
>②へ続く