1人と1台の旅支度

 裸一貫海外へ飛び出してしまうエネルギッシュな若人も世の中にはいるが、年齢や性別その他諸々の事情から自分にそれはできそうになく、そうなると必要になるのが旅支度である。何につけても準備こそが成功の鍵。旅の先人達が残した書籍やブログやSNSを片っ端から参考にした。

 もとより少ない私物から持ち物をリストアップし、次にかくありたい自分の姿を絵に描き起こして不足品を調達する。新調したのはオフホワイトの防水ジャケットと黒くて軽いビジネスリュック。数着の衣類とデジタルデバイス。ノートPCはテキストが打てて頑丈なら何でもよかった。
 野宿やキャンプ泊は当面視野に入れない予定であるため、自分ひとりの荷物は28Lのトランクに辛うじて収まった。荷物の重量は体感10~15kg程度。物を減らすのは苦手ではないにしろ少しミニマル過ぎるだろうか。ちなみに2年前から愛用しているキャスターのないトランクはネット通販で購入した安物だが、愛車に似合うレトロな雰囲気が気に入っている。

 さて、旅の荷物はまとまった。
 サビしか知らない浪漫飛行を口遊み、トランク一つだけでいざ日本周遊の旅へ!

 ……と、そうはいかない理由は単純明快。
 三月半ば、自分はバイク旅の設えをまだ終えていなかった。
 
 これまでツーリングに持参する意識が薄くもっぱら家に置いていた、携帯ポンプや工具類といったバイク備品。すでにはち切れそうな28Lのトランクにこれらを収納するスペースは当然ない。
 それに、今日までは連日のツーリングといっても最長一週間が限度で、その度に走行ルートの地図を頭に叩き込んで移動していたが、今後の周遊走行で果たしてそれは最適解かとふと思い至る。折角の津々浦々を行く放浪旅、粗末な脳のリソースは交差点名の暗記なんかよりもっと別のところに割いたほうがよいのではないか。中途半端な記憶力頼みで道に迷い、異郷の方々に迷惑を掛けるのだって勘弁だ。
 
 などと勘案した結果、自分は、愛車のスーパーカブに以下の旅支度を施すことにした。

  • バイク備品を収納するためにサイドバックを装着する
  • ツーリング中に地図アプリを参照するために
    車体から電源を取り出す&スマホホルダーを装着する

 日頃参考にしているバイク雑誌から旅の経験談を拾えば、荷台となるキャリアの拡張やサイドスタンドの補強、シートクッションの座り心地の追求などカスタムポイントは無数にあったが、旅の荷物が少ないことと純正スーパーカブの完成度の高さを過信してまずはこの2点に絞った。

 春の初めの澄んだ青空のもと、旅立ちまでの一か月間という短期契約を快く了承してくださったオートバイ専用の月極駐車場の端っこで、両手に軍手し愛車に向き合う。
 ナンバープレートを自分で付け替えられたのだから改造だってその延長線上にあるはず。
 自動車の時間貸駐車エリアを併せ持つ広い駐車場でひとり、かき集めた備品の取扱説明書やYoutubeの解説動画を見ながら、想像以上に固く締められているネジと素人にはちんぷんかんぷんな配線と格闘すること数時間。
「おー、何か頑張ってるね」
 視界の端に停まったシルバーの大型車からサングラスの男性が現れた。
 男性はカブの改造に悪戦苦闘する自分のもとへまっすぐ歩いてくると気安い感じで挨拶した。自分を馬鹿にするでもなく、だからと言って手を貸すつもりもない距離間だった。声色から年齢は五十代ほどと推測した。

「苦労してるね。でもバイクって、そうやってイジってるときが一番楽しいんだよな」

 そう言い放った男性はやはり元ライダーで、現在は自動車を四台所有している生粋の乗り物好きだった。自分はカブの左ミラーを外す作業を止め、男性と他愛ない会話をして初めて小休憩を挟んだ。何事も没頭しすぎるのは悪手である。
 男性は最後に「ところで1万円両替できたりしない?」と自分に問いかけ、自分が財布事情的に不可能であることを告げると、明るく了解してシルバーの車ごと去っていった。声を掛けてくれたのは1万円札を崩すことが目的だったのかもしれないが、期せずして気分転換をした自分は何とかスマホステーの装着を完了した。

 バイクにサイドバッグを装着する際は、マフラーの熱でバッグが溶けたり、バッグがタイヤに接触したりといった問題を避けるために、まずはフレーム型のバッグ固定具を取り付ける。このサイドバックサポートを車体に取り付ける際にやらかした。
 ドライバーを力任せに扱ったせいでネジをなめた――ネジ溝をほとんど潰してしまったのである。
 懇意にしているバイク店のホンダドリームでは作業依頼の予約が翌月まで埋まっているとのことで、泣く泣く近隣のオートバイ用品専門店・にりんかんに縋ったところ、汚れた作業服が頼もしいメカニックの男性は、
「完全にネジをなめる前に来店してくれてよかった」
と、飛び込み客の作業依頼を二つ返事で請け負ってくれた。そのうえ、自力で挑戦しようとしたことを讃えてくれるものだから、自分は感謝と気恥ずかしさが綯い交ぜになって作業予約をするや否や退散するように店を後にした。

 駐車場に戻って気合いを入れなおし、カブの車体からスマホ充電用の電源を取り出しにかかっていると、見覚えのあるシルバーの車が再度、時間貸駐車エリアに入ってきた。
 車から出てきたサングラスの男性は「おー、まだやってたの」と驚いてみせると、

「これ差し入れ。頑張ってね」

 温かいミルクティーのペットボトルをカブのキャリアに置いていった。
 男性はそのまま精算機の方へ踵を返し、自分が慌てて告げたお礼の言葉に頷くと、今度は車を置いたままどこかへ行ってしまった。
 コンビニのテープが貼られたペットボトルを顧みて、例の1万円を崩すために買ったものだとすぐに気がつく。コンビニでミルクティーを購入するとき、彼はまだ駐車場で格闘する自分の姿を覚えていただろう。自分は烏滸がましくも幸せな妄想をしてから、差し入れを一口含んで作業を再開した。そうしてたっぷり丸一日をかけて予定分の作業を終了した。

 さて、手荷物や旅装の準備ではないが、旅立ちの前にもう一つやることがあった。
 毎年初詣で「大吉」のお御籤を引かせてくれる武蔵國の総社・大國魂神社へ、人生初の車両のご祈祷を依頼したのである。
 カブへのサイドバッグの装着も完了した平日の夕方。同じ回に六組いた参列者のうち車祈願は自分ひとりだけで、しかも車両待機所はバイクには持て余す広さだったから、自分は場違いではないかと落ち着かない気持ちで交通安全のご祈祷を受けた。
 神職の方からお清めいただく折、ライダーはバイクの横に立つように指示された。
 自分とカブの頭の先を大幣がさらさらと過ぎていくとき、1人と1台が対等に扱われているようでなんだか無性に嬉しかったのを、忘れないうちに書き留めておこうと思う。

 ご祈祷の授与品を食べたり飲んだりサイドカバーに入れたりして、旅支度は整った。
 多くの人の力を借りてようやく立った旅のスタート。
 月極契約を予定通り解約して、一か月間だけお世話になった駐車場を振り返る。きっともう会うことのないサングラスの男性は、また時間貸駐車エリアを利用するときに「そういえばあのカブは思うようにカスタムできたかな」なんて思ってくれたりするだろうか。

 お陰様で無事にカスタムできました――それでは今度こそ、いってきます!