家と麹と母娘

 365日異郷にある旅人にとって軽視できないのが衣・食・住の「住」。
 自分は野宿を是としないこの旅の寝床の確保において、宿泊予約サイトや料金比較サイト、ネットカフェ等の会員アプリは10近くスマホにインストールしているが、ひとつだけ若干毛色の違ったサービスを併せて利用している。

「家」のサブスクの『ADDress』。
 一行で説明するなら、毎月の月額に応じて配布される予約チケットを使って、全国各地の提携施設に住む(泊まる)ことができる多拠点居住サービスである。住居の形態はシェアハウスのほか、空き家や民泊、ホテル・ゲストハウスの一室と提携しているものも多く、ノマドやリモートワークといった働き方をする人に嬉しい短期居住地を提供するサービスでありながら、趣味の旅行やお試し移住にも幅広く活用可能である。

 日本周遊のはじめの宿泊地はそんなADDressの埼玉・川越邸。
 その「家」で出会ったのは、華やかで人の好い家守(ADDressでの各拠点の管理者を指す言葉である)の女性とそのお母様で、どちらも強固な意志で自らの希望を叶えていくタイプのパワフルな母娘であった。
 契約の都合等により当月半ばをもって終了となるADDress川越邸の引っ越し作業の傍ら、他拠点に移転しても民泊を存続したい想いは揺るがない家守のきよみさん。
 引っ越しの手伝いの名目で博多から訪れつつも、自身が東京・有明のオーガニックマルシェに出品している健康食品の動向調査は欠かさないきよみさんのお母様。
 各々やりたいことがある女三人、三者三葉に何かが始まる予感がする春。
 エネルギッシュなその母娘との思い出を簡潔ながらここに書き残しておこうと思う。

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 ADDress川越邸は、川越市内まで車で30分圏内の大型分譲地に建つ、日本と北欧要素を兼ね備えたジャパンディと呼ばれるインテリアを備えた立派な邸宅であり、一人暮らしと思われる家守のきよみさんによれば「結婚したときの家」である。
 宿泊施設としては、オーナーの現住居の一室を貸し出す民泊スタイルを採っている。
 自分とそう年齢も変わらないと見えるきよみさんは、さらりとしたストレートの黒髪にくっきりとした目鼻立ちが素敵な女性で、周りをぱっと明るく照らすような印象は外見のみならずアクティブな一挙手一投足にも表れていて、

「日本一周の旅の1日目に家を選んでくれたの!? わー、嬉しいなぁ!」

 と来客を喜んで、次から次へとお茶菓子を出して迎えてくれた。
 キッチンカウンターに並べられるのは、外の暑さを労う冷たい水に小袋菓子、買ってきたばかりのパイナップル、今しがた台所の棚から発見したチュッパチャップス2本。仕舞いには即席味噌汁のミニパックをありったけ持たせてくれたきよみさんは海外の大学を卒業しており、英語と長旅は手慣れたもの。面倒くさがり屋の食費削減にはパンケーキ粉メインの自炊がよい、と教えてくれた。

 きよみさんの弾けるような笑い方と、山車2台が向き合う川越まつりのお囃子と踊りのクライマックスを「ダンスバトル」と称するワードセンスに惚れ惚れしていると、きよみさんはやがてADDress川越邸の終了の事情をやんわりと話してくれた。
 一介のサービス利用者である自分が詳細を知る由もないが、きよみさんは川越邸の契約が終了しても、神奈川県の相模原に拠点を移して民泊を継続することを希望していて、まさに今ADDress本部に掛け合っている最中であるらしかった。
 そしてきよみさんは、煮え切らない話の終わりにこう告げた。
「とりあえず川越から相模原へ家具を移動しようということで、ちょうど今晩、母が他の空き部屋に泊まりに来る予定なんです。こんなことは滅多にないんですけど……すみませんが、うるさかったら遠慮なく指摘してくださいね!」

 多少の騒音や地震では目覚めない大いなる鈍感さを自負する自分が、翌朝階下のリビングへ降りると、見知らぬ女性が一人、キッチンカウンターに座ってきよみさんと博多弁を交わしていた。
 果たしてきよみさんの母親であったその女性もまた、宿泊者である自分のことを事前に承知していたようで自己紹介は簡潔に済んだ。
 これぞきよみさんの生みの親といった溌溂さを湛えたお母様は、コンビニで買った菓子パンを朝食にしていた自分を見るなり、カップ入りの健康食品をひとつ提供してくれた。しかも代金は「食べた感想」でよいという。

「食べる生甘酒」という謳い文句のその健康食品は、きよみさんのお母様が開発したシャーベット状の甘酒をカップに封入したものであった。
 2023年の応援購入クラウドファンディングで目標金額を達成している商品であり、小さくて可愛らしいパッケージに内容物がしっかりと詰まっていた。
 高齢となり食が細くなった甘党の親のために、食べやすくかつ健康によいものをつくりたいという想いから生まれたその甘酒食品は、現在はマタニティーフード協会が運営する有明のオーガニックマルシェにも置かれているとのことで、お母様は娘が暮らす川越を訪れるついでに、東京まで足を延ばしてそれを視に行くこともしばしばらしい。

 レモン汁が合うとのことで素直にアレンジを頂戴し、甘酒をスプーンで掬って口に含む。
 自分が抱く甘酒のイメージは、社寺の初詣等で振る舞われるどろりと甘い感触のそれなのだが、冷たく固められた甘酒はさっぱりとしてしつこくない。
「そういうリアルな感想ありがたいです! あ、動画を撮ってもいいですか!?」
 とスマホを構えるのは商品広告の素材獲得チャンスを逃さないきよみさん。
 自分は、旅立ちの冒頭から宣材動画デビューするという予測不能な巡り合わせに二つ返事で頷いてから、その日のツーリング予定を思い出してはたと気づく。

「どうしよう、今日はこれからバイクに乗るのに甘酒を食べちゃった」
 するとお母様はにんまりと笑い、
「安心して。大丈夫よ。甘酒って、お米と麹から作るものと酒粕から作るものの2種類があるのだけど、これは前者の方だからアルコールは一切入っていないの。それからお米にも拘っていて、合鴨農法の自然に優しいもち米を――」

 バイクの運転前にアルコールを摂取してしまったと誤解した自分に、商品開発者のお母様は溢れんばかりの情熱をもってあれこれを教えてくれる。世の中には甘酒のアルコール事情に無知な成人が存在することにはっとした動画担当のきよみさんが、お母様の饒舌を遮ってびしっとリテイクを出す。

「今のところもう1回欲しいです! お母さん、カモの話はまた後で!」
 スマホのカメラレンズがこちらを向くので、
「……『どうしよう、これからバイクに乗るのに甘酒を食べちゃった』」

 二人になると博多弁に戻るきよみさんとお母様は、その後も、食べる生甘酒の宣伝方法や、きよみさんの民泊の引越対応について活発に議論を交わしていたが、自分が川越邸を出発するタイミングになると揃って玄関まで見送りに来てくれた。
 なぜか手を振るのではなく拍手で見送られ、カブを走らせて川越市内に入ったあたりで、それは単純な別れの挨拶ではなく、日本周遊のひとり旅に出る挑戦に向けられた激励だったのではないかとふと思う。
 英語が堪能で、相手がADDress本部であろうとしっかり意志表示するきよみさん。
 自ら健康食品を開発し、より多くの人へ届けようと奮闘するきよみさんのお母様。
 分野は違えどエネルギッシュな挑戦を続けている母娘。
 やがて見えてくる川越氷川神社を横目に、彼女たちの挑戦も上手くいきますようにと祈って、自分は川越の「家」を後にした。