その奇怪な山容は、確かに、ツーリングの最中ずっと目の端に映っていた。
武甲山(ぶこうさん)。
埼玉県秩父市と横瀬町の境界に位置する標高1,304mの山で、日本二百名山のひとつに数えられる独立峰。山名は、日本武尊が東征の成功を祈って甲冑を奉納したとする伝説に由来しているが、過去には嶽・秩父嶽・祖父ヶ嶽・武光山・妙見山というように様々な名で呼ばれ、古くから神様が鎮座する神奈備山として里人の信仰対象となってきた。
武甲山の特徴はなんといってもその姿にある。
武甲山は、山の中腹から山頂にかけて北側斜面が大きく削られ、白っぽい岩肌がまるでピラミッドの石積みのような風体で露出している。秩父盆地から臨む階段状の山肌は明らかに人為的に削られたものであり、独特の迫力をもってこちらに迫る。まともな登山さえしたことがなく山に関しててんで素人の自分でも、その様子が異様であることはわかる。
花曇りの4月1日。国道299号線を入間市から北西に走り、秩父市街に入る直前で少しだけカブのエンジンを止めた。
週末から始まる「芝桜まつり」にフライングして訪れた羊山公園のシバザクラは、まだほとんどがつぼみの状態で、早咲き品種の一区画だけがピンクの絨毯を広げていた。自分を含めて辺りに観光客はまばらで、それゆえののどかな雰囲気が妙に心地いい。
芝桜の丘では、同じ蛍光ピンクの帽子を被った公園管理員の方々が隊列を組んで花の手入れを行い、飾り気のない軽トラが屋台の搬入のためにしきりに出入りを繰り返している。春の訪れを祝う、集客資源の祭りの準備。そんな様相を、武甲山がどこか物々しい存在感を放ちながら見下ろしている。
武甲山は純度の高い良質な石灰が採れる鉱床であり、そのために、長年人の手によって石灰岩採掘がされてきた山だ。
武甲山の石灰石は、古くは漆喰の原料として採掘されていた。しかし、明治・大正期からセメントの原料としての需要が高まり、昭和40年の秩父石灰工業の操業開始を皮切りにいっそう大規模な採掘が進められたという。
採掘された石灰岩は秩父鉄道で県内のセメント工場へ運ばれ、製造されたセメントは道路の整備や都市開発に利用された。関東大震災、高度経済成長期や東京オリンピックの建設ラッシュ。武甲山の石灰岩は戦後日本の復興に大いなる貢献を果たした。当時の秩父のセメント生産量を見れば、「武甲山が東京のビル群を作った」という表現はあながち誇張ではないのかもしれないと思わされる。
しかしながら、信仰の対象かつ豊富な自然を抱く山塊としての武甲山は、採掘によりその姿が著しく変貌しひどく損なわれてしまった。損失の規模を示す数値として、かつての武甲山の山頂は今より30mも高い場所にあったという。加えて、旧山頂に存在した神社はすでに移転され、その他の巨石群や磐座も全て失われてしまったとのことである。
今日も続く採掘のために、武甲山は今なおその山容が変化し続けている。
武甲山は「かわいそう」だ。
武甲山の形は「醜く」「かっこわるい」。
武甲山への所業は「神殺し」に値する。
武甲山での石灰岩採掘は「自然破壊」で「環境保護に取り組むべき問題」だ。
武甲山資料館の入り口に置かれた小中学生による作文集をめくれば、無惨に削られた武甲山に対する悲しみと環境愛護への素直な感情が溢れている。というのも、特に小学生の作文集においては、採掘され続けた武甲山がある日山肌を真っ赤にして窮状を訴えるという『まっかなぶこうさん』(けやき書房・1992年)の読書経験が大元にあるようだった。
自分は幸運にも秩父のホステルの書棚に同書籍を見つけて拝読することができたが、なるほど。事情はどうあれ、秩父の人間は経済産業のために故郷の山の破壊を黙認してきたのだとする内容が易しくも平淡なことばで書かれていた。日々失われていく山容が常に視界の隅にある地元のこどもたちにとって、その物語は幾許かの自責の念とともに受け入れられたことだろう。責任は我々にあるのだ、と。
現在では、市やセメント会社、有志団体などにより武甲山の緑化活動も行われている。
ベンチカット採鉱で階段状になった岩肌の平坦部に植林し、在りし日の自然を取り戻そうとする地道な取り組みである。そこには、石灰岩特有の植生を示すチチブイワザクラやミヤマスカシユリなど特殊な植物の保護育成も含まれる。
秩父のひとが、秩父のひとの手で武甲山を再生しようとしている。
資料館を設け、児童書や絵本を作り、次世代に守り伝えようとしている。
都庁隣のお客様先で短くない年数勤務していた自分が、そのセメントの出所など何も知らないまま高層ビルに吸い込まれていた傍らで。
まだ大半が土色である芝桜の丘は、色味こそ地味だが、来たる春への期待に満ちている。
週末にはきっと多くの観光客が押し寄せ(普段無料の駐車場も有料になる)、出店の屋台やお土産処も賑わうことだろう。あの可憐なピンクの花は人を呼び秩父の観光収入を潤す。
自然を利用して収入を得、その自然を手入れして愛でる。
見目美しく雄大な自然を、故郷のシンボルとして信仰崇敬し、一方で消費して生活のよすがにする。ひとが生きるのに必要な恩恵を受ける。
そこに鎮座する武甲山と人間の歴史もそんな風ではなかったろうか。
セメントが都心部の開発に大きく貢献したのは先に述べた通りだが、他方、武甲山での採掘事業は、衰退化する養蚕業に苦しんでいた秩父のひとたちの雇用を助け、過渡期の地域経済において重要な役割を担っていたという。『まっかなぶこうさん』の主人公の友達の家もまたセメント工場で生計を立て、武甲山の石灰岩に生かされていた。
失われゆくものに対してばかり敏感になり、過激な反対意見も多くみられる武甲山の石灰岩採掘であるが、武甲山資料館は、入館者が残した感想メッセージをニュートラルな立場から複数展示している。
その中にひとつ、渋みを感じさせる達筆の意見があった。多少語気が強い印象も抱かせるが、言葉選びの根底に熱い想いが滲んでいるように思えてならなかったため、細部は異なり恐縮だが以下にメモしておく。
『秩父のひとは武甲山の採掘に対して卑屈になりすぎている。緑化活動などしなくていい。懐深く我々を生かし続けるあの山容の荒々しさこそ、美しいと思わないか』
山頂では今まさにダイナマイトによる発破がかけられ、岩壁が爆破されている。登山者は昼時に聞くことがあるという発破音。資料館を出て芝桜の丘で耳を澄ましてみたが、のどかな麓の花畑では遠くにSLの汽笛が聞こえるだけだった。
武甲山は何も語らない。
痛いとも悲しいとも告げず、怒りや戒めも表さず、まして鉱山資源としての矜持や人間への愛情を示すこともない。深い傷を晒しながらただ無言で秩父盆地を見下ろしている。