町銭湯にて

「今じゃ当然、家にお風呂があるけどね。それでもやっぱり銭湯に来ちゃうのよ」
 あと2年で80歳になるという水色さんは、細い髪を洗いながらそう笑った。

 ・・・

 壁面に富士山が描かれた、昔懐かしい銭湯を訪れたことはあるだろうか。
 自分はない。テレビか漫画か何かしらで目にしたことは数あれど、身に覚えのない体験のひとつに銭湯がある。郊外にあるスーパー銭湯ではなく、古き良き町のお風呂屋さん。地元の方々御用達の、湯屋とも呼ばれる公衆浴場のことだ。

 秩父鉄道秩父本線、御花畑駅のすぐそば。
 その日滞在したホステルのオーナーが紹介してくださった周辺施設のなかに、創業80年以上にもなる銭湯「クラブ湯」はあった。無論、ホステルにも清潔なシャワールームが併設されていたが、人生初の町銭湯。これは行かなくちゃだ。そう言うと、この後隣町まで健康診断を受けに行く予定だというオーナーは、簡易お風呂セットとタオルを快く貸してくれた。

 クラブ湯は秩父に2軒しか残っていない銭湯のうちのひとつで、創業は昭和12年。
 改築されているため建物に古さは感じないが、初銭湯の自分はまず玄関が男女で別れていることに戸惑う。そして、硝子戸を開ければ目隠しの靴箱、脱衣所は板一枚隔てて男湯の脱衣所に繋がっていることに驚く。仕切り板の天辺は天井と接していないため、両脱衣所の会話は筒抜け状態。そしてそれらを、玄関の番台にいるおばあさんがにこにこと眺めている。
 入浴料をおずおずと渡し、挙動不審を詫びるように「こういう銭湯は初めてなんです」と伝えると、番台のおばあさんは記念にポケットティッシュをくれた。化粧品のオマケらしいがこんな心づかいが無性に温かい。辺りを真似て藤かごに服を脱ぎ、お風呂セットを持って浴場へ進む。藤椅子の向こうのロッカーはすべての鍵が壊れていて誰も使ってはいなかった。

 洗い場にはケロリンの黄色い桶がピラミッド型に積まれ、日常では目にしない形の蛇口においては赤いカランからお湯が、青いカランから水が出た。カランの位置があまりにも低いので、床のタイルに体育座りして髪と体を洗う。
 浴槽は同じ広さのものが並んで二つ。その片方に浸かっていた先人を横目に、自分は爪先を浸し――あれ、少し熱いかな。気を取り直して肩まで浸かってみる。いや熱いな(のちにネットで調べたところ湯温は43度らしい)。おそるおそる隣の浴槽に手をやってみたのは、各浴槽で温度が違うことを期待したからだったが、実際は両者は深湯と浅湯の差であり両浴槽は底で繋がっていた。

 困惑する自分を見かねてか、先に湯に浸かっていた白髪の奥様が「ここのお湯は少し熱めよね」と微笑みをくれる。それから奥様はおもむろに浴槽の蛇口を捻ると、自分のために豪快に水を足して浴場を出て行った。
 これでは余所者の一存でお湯全体がぬるくなってしまうが、よいのだろうか。
 若干どぎまぎしながらお湯に浸かっていると、落ち着かないその様子に思うところがあったのだろう、洗い場にいた二名の大先輩が色々な話をしてくれた。

「昔は銭湯もたくさんあったのだけどね」
「老若男女問わず、人でいっぱいだったのよ。この浴槽も人でぎゅうぎゅう。今みたいに濾過装置が優れていなかったからお湯がすぐ濁っちゃって、なるべく浸からないようにしてたわ」
 せっかくお風呂に来たのに湯船に浸からないなんて。
「だから体を洗うところっていう認識だったわ。『一番風呂』っていうでしょ、あれはまだお湯が汚れていないからこぞって入ってたのよね」
「それに入浴料ももっと安かった。60円くらいだったかしら」
「当時の60円っていうのはね……」
 本当はこれより少し秩父の訛りのある言葉が、浴場に響く。
 銭湯と人生の大先輩である二名は、片方が田中さん、そしてしばしば「ねえ田中さん」と同意を求めるほうの名前はついにわからなかった。後者はお喋り好きな気のいい女性で、後に知ることだが、爽やかな水色のセーターを着て敬老チケットで銭湯を訪れていた。この方を仮に水色さんと呼ぶことにする。

 水色さんは昭和40年、18歳の時に山の向こう(発言ママ)からモトマチ(秩父市本町地区のことと思われる)にやってきたという。故郷からモトマチまでは今では自動車ですぐの距離だが、当時は随分遠くまでやってきた心地だったらしい。クラブ湯にはもう60年通っており、バブル景気の到来から崩壊まですべて秩父で経験した。
 彼女曰く、バブル期は土建屋がタンスに大量の1万円札を持っていた時代。当時の好景気は今や見る影もなく、
「最近の政治家はだめね。それに男の人もみんな弱っちくなっちゃってね」
 男女の浴場も壁一枚隔てているだけなので会話は男湯に筒抜けである。
 自分はすっかり浴槽から上がって床に体育座りをし直し、水色さんが語る話に小一時間耳を傾けていた。常連仲間の田中さんは基本的に聞き役なのか、水色さんへの相槌やツッコミでたまに口を開くだけだったがどこか楽しそうだった。
「銭湯はいいわよ。みんなと喋るからボケないし、病気のことや政治のこと、ここでする会話が勉強になるからね」
 本当に、勉強になることばかりだった。

 きりのよいところで二名と一緒に浴場を出て、これまた年季が入って風量控え目なドライヤーでさっと髪を乾かした。水色さんの色鮮やかなセーターを横目に見つつ、いつの間にかメンバーが増えていた常連客の会話に耳を傾ければ、
「できればボケる前に死にたいわね」
 自力で回避しようのない将来への不安が、彼女らのもっぱらの関心事のようだった。家屋やお墓、介護のこと。誰もが、家族や孫には迷惑を掛けたくないと話す。
 これは彼女らの半分にも満たない年齢の自分が入り込める話題ではない、と、静かに銭湯を後にしようとした時、
「そういえばあなたはどこから来たの?」
 番台のおばあさんが小声で尋ねてきた。
 スーパーカブで日本を旅している最中なのだと伝えると、おばあさんは一転大きな声で「まあ!」と叫び、永遠に話を続けている常連集団に伝言した。すぐに「まあ!」の合唱を受け、続く優しい応援になんだか気恥ずかしくなった自分はそそくさと銭湯を出た。

 硝子戸を閉めるとき水色さんの声がして、
「日本一周し終わったらまた銭湯においで。私たち大抵ここにいるからね」
 するとその後すぐに、
「長生きする気満々じゃない」というツッコミと朗らかな笑い声が聞こえてきた。
 湯上りで頬が熱い。疲れが取れて足取りは軽い。秩父の町銭湯の夜はまだ長い。