犬は好きかと問われると、少し迷う。
モフモフとした造形は愛らしいし、尻尾が示す喜怒哀楽には思わず微笑んでしまう。
それでいて、大型犬の獣然とした佇まいや耳を劈く吠え声には時折どきりとする。牙じみた鋭い歯もちょっとだけ恐ろしく、何より会話による意思疎通が望み薄であるのが、動物の飼育経験がない自分をそこはかとなく不安にさせる。
一般的に人間の2~3歳程度の知能を持つとされ、言葉を覚えたり、相手の仕草や表情を理解することができるという犬。犬種に特性の差はあれど、家で飼われている愛玩犬が「お手」や「お座り」を学習し披露する姿には馴染みがある。
秩父夜祭で秩父神社の妙見様と武甲山の龍神様が逢瀬を重ねる御旅所、その場所にほど近いゲストハウスにいる看板犬・くまちゃんは、チェックイン時こそ自分を警戒して短く吠えたが、その後はゲストハウスに戻るたびにまっさきに出迎えてくれた。くまちゃんは鼻先で器用に引き戸を開け、すたすたとエントランスにやってくる。
くまちゃんは御年8歳の黒柴犬で、人間に換算するとそこそこのおじさんだという。
柴犬の性格として神経質で縄張り意識が強いと聞いたが、彼に一度宿泊客と認められてからはいくらか打ち解け、2泊の間くまちゃんは気づけばいつも見守るように足元にいてくれた(懐いてくれたと思いたいが単に監視されていただけの可能性もある)。
結婚を機に秩父に移住し、民泊を始めたのををきっかけに現在のゲストハウスを開業したた女性オーナーは「『建物の所在地が熊木町だからくまちゃんなんですか?』とよく聞かれますが、そうじゃないんですよ」と穏やかに話したが、それならなぜくまちゃんなのだろう。今更だが命名の由来を聞いておけばよかった。
地図と観光ガイドブックを眺めながら我々がそんな話をしているときも、くまちゃんは静かに足元で寝そべっていた。まるで話の内容を理解して一緒に聞いているかのように、聡明な眼差しを人間にじっと注ぎながら。
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さて、猟犬・番犬・牧羊犬といった使役動物や愛玩動物として品種改良され、人に飼われてきたイエイヌに対し、ヤマイヌと呼ばれたのは狼である。
秩父三社のうち奥秩父に鎮座し、白岩山・妙法山・雲取山の3つの峯の美しさからその名をとる三峰神社では、神様の眷属として狼が崇められている。また宝登山神社も同様で、狼たるヤマイヌは日本武尊の東征の際に山の案内役を務め、突然の山火事を身を挺して消し止めた(=火止山(ほとさん))とされることから、「お犬様」として御祭神とともに祀られている。
古来より山中において、狼は猪や鹿などから農作物を守ってくれる聖獣とされてきた。
また、狼には主に先の例のような火伏せのご利益や、厄除け・盗難除けの力があるとされており、かつて日本各地に生息していた狼は「大口真神」などと呼ばれ貴ばれてきた。
しかしながら狼は野生動物であり、当然、人に牙をむくこともある。山の人々はその恐ろしさとありがたさを十分に弁えながら、適切な距離を保って狼と共に暮らしていたのだろう。その関係性の尊さと豊かさは想像するに余りある。
二ホンオオカミが絶滅したのは明治末期。今やその実体を失っても、御神札の画や狛犬の姿のなかに、秩父の山には依然として狼への厚い信仰が残っている。
例えば犬と一緒に暮らす人に、全国で「お犬様」を祀る神職に、伝説上の人物である日本武尊に。犬は好きかと問えばなんと返ってくるだろう。そして彼ら彼女らはその理由をどのように答えるだろう。
犬は、遥か先史の時代から我々の隣にいてくれた。時にがぶりと噛まれたり糞尿の被害に悩まされることもあるが、犬は人間にたくさんの恩恵を与えてくれている。直接会話によって確認することは叶わないけれど、ひとの傍に居ることは犬側にもそれなりのメリットがあるものだと信じたい。狼をひとの相棒というのは恐れ多い感じがするが、犬であれば、彼らをひとの親愛なる相棒と呼んでも差し支えないのかもしれない。
三社の参拝を終えた秩父の山中、ふと振り向けば、ここまで一緒に埼玉を北上してきたカブが不服そうに傾いている。もちろん、旅の途中にある自分が全幅の信頼を寄せる相棒はあなただ。ギアチェンジやコーナリングが下手くそで苦労を掛けることもあるが、行ける限りどこまでも共に進む所存なので、できればあまり唸らないで欲しい(唸らせないようにしたい)と思う。
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四月、花冷えのするツーリングには肌寒い日。
立ち寄った道の駅で、無性に温かいものが食べたくなって中華そばを頼んだ。
道の駅からすぐの場所にある元採石場跡に植えられた千本桜を目当てに、駐車場には車が列をなしていたが、施設内のフードコートはお昼時にも関わらず閑散としていた。
「すぐにできますヨ!」
という心持ちカタコトの呼び込みと半ライス無料広告に惹かれ、カウンター6席のみのこじんまりとしたテーブルに着席すれば、2人のお母さんが親しげに接客してくれた。
どうやら厨房に立つお母さんは母語が他国の言語であるようで、やや拙い日本語が彼女の愛嬌を際立たせていた。伝えようとする意思が先走るその口調は、流暢な口語よりずっと純粋な好奇心をくすぐり、座る人を皆傾聴させてしまうのだから不思議なものである。自分は、ラーメンを作る彼女の手際の良さに見惚れながら、中国出身の方だろうかと勝手な推測をしてしまう。
天井から下がるハエ採り紙を観察しながら中華そばを待つ間に、注文客が2組増えた。
すると、客の年齢に関係なく男性であれば「お兄サン」、女性であれば「お姉サン」と呼んで老若男女に多少の混乱をもたらしていた厨房の彼女が突然、
「さっきあそこに大きい犬がいたヨ。吠えると心臓の悪い人によくないネ」
と朗らかに話し始めた。
指さす方角を向いてみるも、自分の位置からは話題の犬の姿は見えない。
「犬は小さいのがいいネ。タダで貰えるところもあるけど、あの大きい犬は自分で買ったのカナ?」
おそらく地域の保健所や里親募集案内のことを言っているのだろう。
自分は隣に座っていた夫婦と顔を見合わせ、どう返答したらとよいものかと互いに苦笑しながら、本当にすぐに出てきた中華そばを彼女から受け取った。次いで、サービスで山型に盛ってくれた半ライスの小さな容器を身を乗り出して受け取ると、
「おいしいヨ」
彼女は大型犬を目撃したという方角を向いたまま、にこやかにそう言った。
そういえば、海外には犬を食べる文化もあるという。
犬は好きかと問われて想起するのは、犬への愛着、犬との思い出、お犬様信仰にその「味覚」……善悪や好き嫌いは抜きにしてもまだまだ別の視点がありそうだ。