旅と酒を愛した大正時代の歌人・若山牧水が、利根川の水源を訪ねて歩いた『みなかみ紀行』。
群馬県みなかみ町のかな表記の由来となるほど著名な『みなかみ紀行』は、山村の巧みな描写や素朴な短歌で高く評価されているが、彼の紀行文のなかで当書がとりわけ人気な理由は、単純に「『みなかみ紀行』の旅は楽しそうだから」だと個人的に思っている。
代わるがわる来訪しては去っていく若い弟子たちと連れ立って山を歩き、投宿し、飲酒し、歌を詠んで、投宿してはまた飲酒し……若山牧水の自宅のある静岡県の沼津から長野県・群馬県・栃木県へと辿っていく24日間の行程はその大半が上州(群馬)の逍遥であり、実は、このルートは自分がカブで走ってきた日本ロマンチック街道と概ね一致する。
出会いと別れと、思いがけず波乱万丈な楽しい旅なら自分だって負けてない。
以下は、長野県境でリゾバを終えたあと栃木県に至るまでの道程で起こった、投宿と、飲酒と、散歩と、短歌と、今はもう遠く別れた素敵な人たちとの交流録である。
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■2024.5.7-9 @群馬県嬬恋村
浅間山麓に位置する、高原キャベツで有名な嬬恋村でお世話になった宿は、建築職人で元焙煎屋で元バックパッカーであったオーナーの男性が、中古ペンションを独力でフルリノベーションして始めたペンション。改修期間は丸4年。
標高1,000mの高原地帯に降る小雨に震えながらペンションに到着すると、上述の経歴を濃縮したような外見のオーナー・遠藤さんが出迎えてくれた。ゆるくまとめた長髪に丸眼鏡、背は高いのに心配になるほど痩身で、格好は飾らない長袖黒Tシャツ。手にはご当地ゆるキャラ「嬬キャベちゃん」のマグカップを持っていた。
遠藤さんがウェルカムドリンクとして自家焙煎コーヒーを淹れてくれるので、ストーブが焚かれたお洒落な部屋に移動してちびちびとそれを飲み、部屋にあるハンギングチェアに少しだけ揺られてから、空になったカップを階下のカウンターに持って行った。
すると遠藤さんは眼鏡の奥の目を丸くして、
「わざわざ持ってきてくれたの? 驚いたな、本当に『いい人』だった」
「えーと、どういうことでしょう……?」
発言の意図が分からず尋ねてみると、どうやら、公式HP経由で宿泊予約をした際に自分が入力していたコメントに、遠藤さんは予約者の人柄の良さを直感したらしい。特にこれといった衒いのない文章のはずなのだが――ただ、個人や家族経営の宿泊施設においては、公式HPと宿泊予約フォームが存在する場合は、大手のホテル予約サイトからではなく直接公式HPから予約するようにしているのは事実である。大手企業に抜かれる手数料は最小限に、お世話になる宿には最大限還元したい自分の地味な拘りだ。
「そういうところが『いい人』なんじゃない?」
「うーん、そうでしょうか……?」
自分は首を傾げながら、しかし遠藤さんは納得したように頷いていた。
遠藤さんのご厚意でコンセプトの異なる他の宿泊ルームを見せていただき、各部屋の意匠やリノベーション時の苦労、そこから二転三転して株式とFXの話を伺った。話題が広くてとにかく濃い。宿泊客も総じて濃ゆい傾向があるらしく、先日は牧師が泊まっていたとのことである。オーナーも客層も強者揃いのペンションだ。
日も落ちたころ、大きな暖炉のあるコミュニケーションルームで選者の好みが透ける蔵書を手に取って眺めていると、遠藤さんが夕食に誘ってくれた。
「僕の夕飯と同じになっちゃうけど、唐揚げとかでいい?」
自分は素泊まり用に購入したカップ麺を忘れ、破格で人ん家の夕飯を御馳走になった。
一日一食しか食べないという遠藤さんの夕飯はシンプルだが山盛りで、契約農家から仕入れている無農薬キャベツとオーガニックのゆで卵、脂ぎった感じがまるでないヘルシーな唐揚げをたくさん頂戴した。箸が進んで実はワインまでいただいている。
他の宿泊客がいないのをいいことに時間を忘れてお喋りを続けていると、遠藤さんがふと声を潜め、
「……僕、陰謀論とか結構詳しいんだけど話してもいい?」
と、おずおずと問うてきた。
陰謀論――一般的に知られている事件や歴史上の出来事について、その背後に別の策謀があったと解釈する考え方のことだ。昨今のトピックは巨大地震やコロナ禍・ワクチン接種、不景気、米大統領選挙、ロシア・ウクライナ戦争といったところか。
陰謀論という話題について、良い・悪い・好き・嫌いを語る以前に自分には知識が不足していたため、これも勉強だと二つ返事で頷いてみせる。突然消極的な雰囲気になった遠藤さんから、思想を押し付けるような強引さを感じなかったのも決め手だった。
実際に伺った陰謀論のあれこれは、どれも自分にはない発想で、信じるか信じないかは抜きにして単純に刺激的だった。時に、陰謀論を妄信して周囲との間にトラブルを起こしてしまう人がいるのは以前から知っていたが、陰謀論でなくとも何かを妄信すること自体が危ういように思う。
「僕は、陰謀論だってひとつの意見だと思うのだけど、世の中にはどうも陰謀論というだけで拒絶してまともに取り合ってくれない人も多くてね」
煙草を燻らせてそ遠い目をする遠藤さんに、得も言われぬ切なさが込み上げる。
話題を切り出す際に見せた躊躇うような素振りはきっと、これまで他者から受けてきた蔑視や拒絶の反動なのだろう。
ただ自分の考えを伝えたいだけなのに、聞いてほしいだけなのに。
敬遠される経験が重なると、人は話すことに臆病になってしまう。
「こうして素直に話を聞いてくれる貴方はやっぱり『いい人』だ」
「果たして、そうなんでしょうか……?」
自分は首を傾げながら、遠藤さんの話の続きを促した。
何が陰謀で何が陰謀でないのかは到底明らかになるものではないが――人の話を聞くだけで『いい人』になれる世界というのは、なんだかとても寂しい気がした。
詳細は割愛するが、この陰謀論談義は非常に白熱し深夜2時まで続いた。
しかも遠藤さんと自分は次の晩も同じことをやっている。自分もかなり陰謀論に詳しくなったと言わざるを得ない。ちなみに2泊目の夕食はそばとうどんで、「どちらがいい?」と尋ねる遠藤さんに「両方」と答えたら本当に両方用意してくれた。もはや真の『いい人』はどちらか明白である。
チェックアウトの日は快晴。
遠藤さんは自分の旅の安全を願って1杯のモーニングコーヒーを淹れ、そして、また遊びに来るように言ってくれた。嬬恋高原の厳冬期は休業だからきっと避暑に適した夏がいい。
「今度は大手予約サイトから予約してくれていいんだよ。貴方は文章を書く人だから、きっと素晴らしいレビューを投稿してくれるはずだと僕は思うね」
遠藤さんはそう言って気さくに笑った。
なるほど、そういう考え方もあるのか――情報過多の現代、大半の人は物を買うときに他人の口コミやレビューをチェックすると聞く。大手企業に抜かれる手数料以上に集客力のあるレビューが投稿されれば、それもまたお世話になった宿への還元になるのだ。
行き当たりばったりな冒険を好む自分にはなかった新しい知見に、胸が躍る。
「貴方は『いい人』だから長生きしてほしいな」
という一風変わった別れの挨拶を頂戴してペンションを発てば、同じく長生きしてほしい遠藤さんは、交差点を曲がるまでずっとバックミラーの中で見送ってくれていた。
>②へ続く