私のみなかみ紀行④

■2024.5.23-24 @群馬県沼田市~栃木県日光市

>③の続き

 場所は群馬の秘境・老神温泉。民泊サライを営む小阪夫妻の別荘にして、現在はヒデちゃんと呼ばれる学者が居住する二階建てのこじんまりとした邸宅。
 時刻はそろそろ17:00にもなろうかという初夏の「がれ」時。小阪千恵子さんの紹介に任せてヒデちゃんを突撃訪問し、玄関先で顔合わせをしたはいいが、

・来客の心づもりなど一切していなかったヒデちゃん
・本当は温泉に行って夕飯まで済ませてくる予定だった自分
・程なくその日の宿泊客のチェックインがある(!)という千恵子さん

 は、時間を改めて再集合する方針で合意した。
 一同は「また夜に」というルーズ過ぎる約束を交わして一旦解散。
 自分は予定を変更する暇さえなく、日帰り温泉までカブで急行し、カラスの行水よろしく慌ててお湯から上がり、併設の食事処でかつ丼をかき込み、コンビニでお菓子とおつまみの類を調達して民泊に舞い戻った。ついでに言うと、ヒデちゃんが住む別荘に直行しなかったのは、彼がお酒を用意すると話したからである。
 民泊から再び別荘へ向かったのは夜更けの21:00。
 20:30に床に就く一英さんを部屋まで見送り、新規ゲストの若い夫婦に就寝の挨拶をして、自分と千恵子さんはこそこそと民宿を出た。唇に人差し指を立てながら抜き足差し足すれば、自然と頬は緩むというもの。再び千恵子さんの車に乗せてもらって、人っ子ひとりいない夜道を走る。里山の闇はヘッドライトの光がかえって心許なかった。

 レジ袋に入った酒類を預かって膝に乗せ、大胆にセンターラインを攻めながら運転する千恵子さんをそっと見やれば、

「ああ、楽しいね。楽しいねえ」
 
 彼女はふいに訪れた非日常に興奮を隠し切れない少女のように、そう呟いた。
 ――自分はこの時ほど、『旅人』という身の上に感謝したことはないだろう。
 日常の外からやってくる部外者としての本懐を実感した瞬間として、この2か月間、これ以上に心揺さぶられる場面はなかった。それはぬるい夜風が渡る田舎道の、他人が運転する車の中で突然に与えられたひらめきだった。
 真夜中に家を抜け出して、民泊業務は置いてって、夫のリハビリ介助は今はちょっとだけ忘れて。行きずりの小娘を連れて、旧友の住む別荘で酒盛りをするのだから心躍らないわけがない。千恵子さんのいつもに増したにこにこ顔が無性に胸を打った。自分は千恵子さんの気晴らしの機縁になったのだ。助手席の外に視線を逸らす。楽しい夜会を始める前なのに、何だか泣きそうになってしまって困った。

 小阪夫妻の別荘で、手料理やら鹿肉の刺身やらを用意して待っていてくれたヒデちゃんは、前情報に違わずかつて大学で教鞭を執っていた知識人であった。ジェットエンジンの開発に関して講義していた経歴があれば、昨今のITにも精通しているためにECインフラの見識も深く、今では老神温泉観光協会のアドバイザーもこなしている多忙な御仁である。
 書斎エリアからお手洗いに至るまで、膨大な資料と付箋が壁紙を埋めている有様は、確かに大学の研究室の面影があった。イメージ通りの学者の家だ……様式便座に腰掛けた正面の一画だけ、貼られているのが研究資料でなく「風でミニスカートが捲れ上がったブロンド髪の自転車ガール」であったのには思わずひとりで吹き出してしまったけれど。

 広範な知識に裏打ちされたヒデちゃんの話はどれも面白く、千恵子さんは途中眠気を催してこたつで寝転がっていたりもしたが、自分は時間が経つのも忘れて秘密の夜会を楽しんだ。
 宴も酣で民宿に戻ったのは深夜の1:30。75歳コンビから見れば若手も若手な自分は、食べきれなかったお菓子など大量のお土産をいただいて帰ってきたのだった。

 峠越えの朝は案の定の寝不足で、頂戴した横浜美濃屋あられのギフト箱が嵩張った。

「××さんおはよう。もう行くのか」

 小野さんはA4用紙にデカデカと書かれた宿泊者メモを確認し、先んじて声を掛けてくれた。たった2泊3日滞在しただけの旅行者など、小野さんの短期記憶から真っ先に消えてしまって然るべきなのに、後遺症に対して強かな彼の手元にはしっかりと自分のフルネームが記されていた。
 民泊のリビングで一英さんにお礼を伝え、駐車場隅の雑草を抜いていた千恵子さんと不自然によそよそしい会話――まるで昨晩のことなど身に覚えがないような無難な会話――をにやけ顔で交わして、自分は民泊サライを後にした。

 小野さんが「もう出発したがってるよ」と諫めるまで周辺の観光名所を紹介してくれた千恵子さんに免じて、吹割の滝に行った。丸沼・菅沼にも立ち寄った。金精峠はさすがに体感気温が低かったが驚くほどあっけなく通過した。日本三大名瀑の湯滝を鑑賞して、戦場ヶ原の水彩画のような湿原を歩き、「幸ノ湖」と呼ばれる中禅寺湖の凪いだ湖畔でカブを停めた。
 終始心ここにあらずといった浮遊感が付きまとっていることに、自分はとうに気づいていた。
 念願の栃木入りを果たし、いくつ観光名所を巡っても、熾火のようにくすぶるのは群馬の人たちとのささやかな思い出。交流の愉楽と親切への感謝。これまでの道中だって自分は変わらず孤独であったのに、端的に言って、彼ら彼女らとの別れは寂しかった。

幾山河いくさんが 越え去り行かば 寂しさの てなむ国ぞ 今日も旅行く

 若山牧水はいつかこんな句で尽きない旅愁を表現した。
 一期一会の旅の出会いは、楽しく、嬉しく、時に切なくて愛おしい。愛おしいからから別れが寂しい。出会いの終わりに待つ寂しい別れを知っているのに旅を止められない矛盾。身をもってそれを知る自分は幸福にきっと違いなく、ゆえにまた、スーパーカブの右手を捻って幸福な道の先へ進むことにした。

・・・

 さて、民泊サライでの出来事には後日譚がある。
 かくして無事に峠を越えた後、戦場ヶ原で知った中禅寺湖所有権争いの神話(戦場ヶ原神戦譚)の気づきを含めてにヒデちゃんにお礼のメールを送ったところ、次のような返事がきた。

 一介のスーパーカブ乗りが綴った紀行録の末項を小粋な和歌で締めくくることになるなんて、若山牧水だって予想できなかっただろう。ご多聞に漏れず自分も人から短歌を頂戴したことなどなく、このときの感動は一入ひとしおだった。
 小洒落た贈り物にはこれ以上の補足は無粋にて、長文御免。ここに筆を置く。