五月三十日、日光東照宮に参詣する。
群馬県片品村から金精峠を超え、悠々と水を湛えた中禅寺湖を過ぎ、第一いろは坂を滑り降りたらいよいよ日光に到着した。戦場ヶ原に華厳の滝。いろは坂42番目の急峻な「し」のカーブで天狗に見送られながら、標高にして1,000mほどを一息に下りてきたためか、日光の街に着くと辺りには新緑の匂いが漂っていた。
視界に広がる日光連山のうち、雄大な山容を間近に望む男体山は「二荒山」とも呼ばれ、これが二荒(ニコウ)=「日光」の名の由来になったといわれている。
日光に江戸幕府の初代将軍・徳川家康が祀られるようになったのは、日光東照宮宝物館でデジタル閲覧が可能な『東照社縁起』を流し読みするに、徳川家康の「自分の死後、遺体は駿河の久能山に埋葬し、一周忌が過ぎたら日光へ堂を建ててそこへ勧請してほしい」といった遺言によるものだという。
家康が生涯一度も訪れたことがない日光を改葬の地に指定した理由については、日光が源頼朝も寄進していた武人崇敬の霊場だったからだとか、江戸の真北に位置する場所において関東八州の鎮守を成すためだとか、翻ってそこが江戸城の鬼門にあたるための配置だからだ等々、古今東西の学者がいろいろな持論を戦わせているが――家康のブレーンとして活躍した天海大僧正の日光山再興施策ではないかという説が有力である。
そんな経緯により、日光東照宮は400年余り徳川家康を御祭神として二荒山の麓に鎮座しているが、特定の人間を神様として祀っている信仰のかたちは、自然や祖霊を崇める神道の思想とも仏教の思想とも異なるものである。
個人的に抱いた印象を表すなら、そこにあるのは“権威”の2文字に尽きる。
日光東照宮の豪華絢爛な社殿群は、
「どうだ凄いだろう、素晴らしいだろう? これぞ徳川の威光であるぞ」
と言わんばかりの工芸美術の粋を全身に纏い、サルでもわかる荘厳さで見る者を威圧する。
現在の社殿群は三代将軍・徳川家光による大造替後の姿だが、流石幕府の事業というべきか、建築物の隅々から莫大な予算が投入されていることが容易に想像できる。各門には全国各地から集められた名工が腕を振るった綿密な彫刻、餝金具、極彩色の着色。杉並木の杜のなか、貝殻を原料とする胡粉の白色が異質なまでにくっきりと浮かび上がっていた。
「日光を見ずして『結構』と言うなかれ」という諺がある。
こと建築において大変納得感のある言葉で、新緑青葉の晴天の下、自分は圧巻の彫刻群に見入ってたびたび立ち止まり――と言いたいところだが実際はそうもいかない。故事逸話や聖人賢人など500以上の彫刻が施され、一日中見ていても飽きないとされることから「日暮の門」と呼ばれる東照宮の陽明門。日光で立ち止まるのは、現状、限りなく不可能である。
というのも、日光山内の観光においては他にも多種多様な「結構」が存在するからだ。
第一に、参拝者の数が結構なものである。
学生時代に、いろは坂でのバス酔いを耐えて日光を訪れた人も少なくないだろう。参拝日が平日であったことも関係しているかもしれないが、各社の境内には小・中学校の修学旅行生が溢れかえっていた。他にもバスツアーの団体観光客、海外からはるばるやってきた訪日観光客が次から次へと押し寄せる。真っ赤な背広を着たツアーガイドが三角旗を掲げ、記念写真で日銭を稼ぐカメラマンが鳥居の下に陣取っている。
自由時間をめいっぱい使おうと奮闘する小学生たちが走り回り、引率の教員が怒号に似た声を張り上げ、プロ意識の高いバスガイドがモーセのように人波を割っていく。
……だがそれも結構。
ここは江戸時代から続く日本の一大観光地・日光である。
第二に、拝観料も結構なものである。
まとめて「二社一寺」と呼ばれる、日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺と大猷院について、宝物館などの各関連施設をすべて含めて観光しようとすると、拝観料の総額はゆうに5,000円を超える。一生に一度の機会という気持ちが観光客の財布の紐を緩めにかかるが、交通系ICとクレカしか使えないキャッシュレス券売機や伊藤園以外を許さない境内の自動販売機に、大人の都合が垣間見える。
……だがそれも結構。
物価と人件費の高騰、ウイルス禍収束によるインバウンド需要の対応のほか、世界遺産にも登録されている国宝や重要文化財を修理保存するには致し方ないことだ。と、悪びれず飄々と言ってのける集客力を誇ってこそ日光である。
第三に、懐の深さが結構なものである。
栃木県の観光名所の筆頭として、修学旅行の学生、団体ツアー客、外国人観光客といった年齢も国籍もばらばらな存在を幅広く受け入れる日光は、俗世の流行にも敏感であり、時に信仰の聖地としてのプライドを擲ったのかと思えるほどに寛容かつ柔軟な対応を見せる。
abemaTVの企画でオレンジのつなぎを着た若手タレントの番組撮影をしても結構。周りに観光客が居ようが居まいが気にする必要はない、と言わんばかりのロケ地慣れ。緋袴の巫女も台本通りに丁寧に解説をしてくれる。
霊廟の前で自撮りのSay cheeseをしても結構。写真に何かが映り込む可能性は捨てきれないが、ピースサインを不敬だと指摘する者はいない。鳥居の前で有料の記念撮影を頼めばPaypayの電子決済音が響き渡る。
『進撃の巨人』のユニクロコラボTシャツを着てきても結構。実は東照宮側でも一昨日から「武者ガンダムMk-Ⅱ徳川家康南蛮胴具足Ver.」のプラモデルを販売している。
辺りを散策して疲れたら、推し配信者のYoutubeやスマホゲームに興じるのも結構。境内にはWi-fi基地局が整備されているため参拝客は皆公衆無線LANを利用できる。
青い通学帽を被った小学生が、縦列を乱しながら奥社に向かう道すがら、東回廊の潜り門を見上げて「猫だ」と叫ぶ。
江戸時代に活躍した伝説的な彫刻職人・左甚五郎の作と伝えられる眠り猫は、とても小さな彫刻だが、観光客への親切極まる「↑頭上(Lookup)眠り猫(Sleeping Cat)」の看板のお陰で見落とすことはまずない。
牡丹の下で目を閉じて丸くなる白黒ブチの猫の彫刻。
霊廟のある奥宮の入口になぜ眠っている猫の彫刻を置いたかという謎には、「不浄なものは鼠一匹通さない」表明とする説や、武人に無心であれと説く剣術の奥義「猫の妙術」を指しているとする説もあるが、背面にある二羽の雀の彫刻がキモだと広く言われている。
猫は穏やかな顔をして眠り、そのために雀たちは安心して飛び回る。そんな、強きも弱きも幸福な状況。これは、江戸幕府によって戦乱の時代が終わったことを示し、未来永劫の平和への祈りを込めたものだと解釈されている。
日光東照宮の建築や彫刻については、たった数時間滞在しただけの自分が語るには憚り多いためここで筆をおくが、それは徳川の威光を知らしめると同時に、眠り猫や千人童子の彫刻の例のように後世の人々の平和を願う意味をも持っている。
初夏の日差しが眩しい境内を振り返れば、老いも若きも他国の人も、皆が目をキラキラさせながら観光を楽しんでいる。荘厳な建築を前にブルーやブラウンの瞳が瞬き、集合写真の撮影で小学生たちの笑顔が尊く弾けていた。誰もが気に入った景色を思い思いに撮影し、好きな服を着て、気に入ったお土産に手を伸ばしているこの光景を平和と言わずして何と言おうか。
きっと御祭神の家康公も――きっといくつかの粗相にはあえて目を瞑りながら――戦乱の世の果てにある今日の平和に安心し、潜り門の猫のように穏やかな気持ちで眠っているに違いない。
あらたふと 老若男女の 目に光