ほ・る【掘る】[動ラ行五(四)]
①穴をあける。「トンネルを…」「井戸を…」
②穴の奥に埋まっているものを取り出す。「芋を…」
□「手」に「屈む」で腰を屈めて穴を掘ること。
□「屈」は獣尾を屈する形で、その匿れ棲むところが窟。土を掘り崩して窟とすること。
※dig[米・英]、graben[独]、scavare[伊]、fode[羅]、挖[中]、копать[露]
*墓穴を掘る。根掘り葉掘り(聞く)。羅雀掘鼠。掘削、採掘、掻掘り。
≒くり貫く。
⇔埋める。
2024年6月3日。
地下に長大な銅坑道が血管のごとく走っている足尾から、いくつかの峠を越えて鹿沼に出た。
行き先は宇都宮。久々の市街地泊だった。
ヘルメット上の天気は文句のない快晴で視界も良好。
森閑とした山間の霊場・古峰神社を立ち寄るつもりであったのに道を違え、県道15号線で山を下りてしまったのはなぜだっただろう。圏外とはいえ、確かにスマホのマップは表示し続けていた。粕尾峠の分岐路を見逃がすはずはなかったのに。
これが世間で言う「神様から呼ばれていない」状態かと一人納得し、気持ち大胆に右手のハンドルを捻る。いつもより冒険心が疼いているのは、きっと『足尾銅山観光』でどきどきわくわくの坑内探検を経てきたからだ。地下水滴る坑内の暗さと肌寒さ、生命の危機をも感じる岩盤の心許なさ、腕を持っていかれそうなほど乱暴な削岩機の振動は、まだしっかりと体に残っていた。
そこで地底への好奇心を宥めようと、投宿する前に大谷を訪れた。
全世界に名を轟かす岩手出身のプロ野球選手と同じ漢字を書くが、これは「おおや」と読む。
大谷は宇都宮市内の一町であるものの、県庁ビルが建つ市街地から10kmほど離れており、中禅寺湖を起点とする大谷川がゆったりと流れる郊外エリアにあたる。
しかし建築、作庭、あるいは昨今の写真映えスポットに詳しい諸兄であれば、今回の掲題に次いだ「大谷」のキーワードですぐにピンと来たことであろう。
大谷は、旧帝国ホテルにも利用された軽石凝灰岩の石材・大谷石の産出地。
また今日では、映画やMV撮影に多用される地下採掘場跡が有名な最新観光スポットだ。
大谷石の地下採掘場跡は、広さ約2万㎡(140m×150m)。
深さは平均30mで、最深部は地下60mにも及ぶため夏場でも涼しい。壁掛けの温度計を見れば坑内気温は10℃とあった。
壁面には、江戸時代から昭和中期に至るまでの手掘り・機械掘りの跡が残り、それがどこかエキゾチックな模様となって赤・青・黄色の照明に浮かび上がっていた。所々に奇妙な形のオブジェも配置されており、戦時中は軍事工場や倉庫として使われた巨大空間は、すっかりインスタレーションのアトリエの様子だった。
無料の記念撮影ブースには元気な担当員が常駐しているし、映画『るろうに剣心』のアクションシーンで打ち付けたアンカーを敢えて外さず見所としているのも、採掘場跡を活用したいという施設の意向であれば面白い。屈強な石工達が軽くて使い勝手のよい大谷石を求め続けた副産物は、何ともイマドキな芸術空間に生まれ変わっていた。
掘る――穴をあける――って不思議だ。
足尾銅山の鉱夫も、大谷採掘場の石工も、素敵な地下空間を作りたかったわけではない。
ただ鉱石を取り出したくてツルハシを振るったに過ぎないだろう。
しかし、銅や石材を求めて地中深く掘り進んでいったその後ろにできた坑道・採石場という空間が、彼らが確かに存在していたことを証明している。そして今、その空間に新たな物語が続いている。
上手く言えないけれど……堀り跡が歴史だ。
ほ・る【彫る】[動ラ五(四)]
①彫刻する。「仏像を…」「墓碑に名前を…」
②彫り刻んで金銀・珠玉をはめ込む。「朧に薄紅の螺鈿を…*夏目漱石『虞美人草』」
③くり貫く。穴をあける。《掘ると同語源》
◎入れ墨をする。「背中に倶梨伽羅を…」
□装飾性のある盾を示す「周」に美しく飾る意の「彡」で、盾や戈を彫飾すること。
※carve[米・英]、schnitzen[独]、scolpire[伊]、carve[羅]、雕刻[中]、вырезать[露]
*浮き彫りにする。彫りが深い。彫虫篆刻。彫刻刀、一刀彫、透かし彫り。
≒刻む、切る、ゑる、ゑじくる。
次いで訪れたのは、地下採掘場跡を展示している『大谷資料館』の徒歩圏内にある『大谷寺』。大谷寺は、日本最古の石仏・大谷観音を本尊に祀る古刹である。
大谷観音は正式名称を「大谷寺本尊千手観音」といい、大谷石の巨岩に貼りつくように建つ観音堂の、奥壁に刻まれている。
これはつまり、露出した岩肌に直接彫刻されているということである。
状態としては、高さ4mの千手観音のレリーフを想像してもらえれば結構。
自然の懸崖や岩石に仏像を浮き彫りにしたこの種の石仏は、総称して摩崖仏と呼ばれるものである。
大谷観音は平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられているが、今は無きバーミヤン石仏との共通点が見られることから、シルクロードを渡って来日したアフガニスタンの僧侶の彫刻ではないかとされている。真偽の程は定かではないが面白い。
合掌して薄目を開く。残念ながら、風化のために表情や持物はほとんど判らなかった。
研究によれば、大谷観音の最初の姿は、陽刻した岩面に朱を塗り、そこに粘土で細かい化粧を施し、さらに漆を塗って一番上に金箔を押した誂えだったらしい。無骨な岩肌からぬっと現れた黄金の観音像は、さぞ眩しく有難い存在であったことだろう。
自然石を削ってつくる摩崖仏は、どこでも容易に製作できるものではない。
石を彫るのに適したやわらかい岩盤が必要だが、彫った先からぼろぼろと崩れ出すような脆い岩盤でも駄目だ。
その観点で見ると、大谷石は仏像を彫るのにうってつけの材質。ちなみに日本の摩崖仏の70%近くは、細工しやすい溶結凝灰岩が多く露出する、九州の阿蘇に分布しているという。
また、天然の岩肌に思い切って彫刻した摩崖仏は、日頃丁重に厨子に入れられている小仏と違って劣化のスピードがわりかた速い。覆いや屋根がなければなおさらだ。人の手による彫刻の後に、年月と風雨が幾度となく手を加えた目の前の摩崖仏は、何とも想像力を刺激する御姿を見せてくれていた。
彫る――任意の図案を刻んだり、別の形に変化させたりする――って不思議だ。
弘法大師あるいはアフガニスタン出身の僧侶は、石の奥に埋まっている何かを掘り出したかったわけではない。
ただその表面に御仏の姿を刻みたくて、ノミを手にしたに過ぎないだろう。
しかし、理想とする千手観音菩薩をそこに顕現させたい一心で彫り進めていった、石のわずかなくぼみに製作者の熱量が見える。えぐられた部分に任意と偶然の過去がある。時間は絶えず有機物に手を加え続けるから、作品製作はまだ続いている。
上手く言えないけれど……彫り跡が芸術だ。
その後は、大谷寺の駐車場整理員の男性の勧めで、高さ27mの「平和観音」立像を拝んでみた。
太平洋戦争の戦没者供養と世界平和を祈念して彫刻された「平和観音」は、およそ70年前に完成した比較的新しい石仏である。
その丈は周囲の巨岩の高さを大幅に上回っており、文字通り、頭ひとつ抜きん出て存在感があった。恐らくだが、一枚岩でできた石仏ではない。観音像の上半身は、別途採掘した石を彫刻して岩面彫刻と組み合わせたものだろうと推測された。
観音様の後頭部には展望所が備わっており、階段を駆け上がれば、夕暮れに染まる街並みが一望できた。
もし自ら石を採掘してきて自ら彫刻を施すのなら、
「掘」った石を「彫」るという風に漢字をあてるべきなのだろう。
なんて、取り留めのないことをふと考える。
掘る/彫るの同音異義語は細かい意味合いやニュアンスが異なるが、ほられた後にできる空間的・時間的な欠損にえも言われぬ魅力が宿るのは、大谷で自分勝手に見出した共通点。何だかそこにこそ、豊かな意味が詰まっているような気がする。少なくともそこには歴史があり、芸術がある。
木や石や金属や地面に残った欠損は言わば轍で、旅の足跡に似ていて、随分安直な発想だけど、それが人生と呼ばれるものに近い何かかもしれない。
自分は知りたいことがたくさん有る。未知なる出来事を貪欲に探掘したい。
知れば語りたいことがたくさん出る。この経験を自分の言葉で彫刻したい。
ほるって不思議だ。
スーパーカブを走らせて、次は何を掘りに行き、どんな風に彫ってみようか。