那須町のほぼ真ん中に位置する「あさひのお宿」は、2016年に廃校となった朝日小学校を活用した「那須まちづくり広場」内のゲストハウスである。
那須まちづくり広場は、高齢者・障害を持った方・就労や就学に困難を感じる方などがともに暮らすコミュニティとして創生されたものであり、それぞれが抱く豊かな暮らしのイメージは、クリーンなカフェや併設マルシェの自然派な品揃えからも伺うことができる。
2021年にオープンしたばかりのゲストハウス館内は木の匂いがまだ新しく、机椅子や窓に廃校の趣を残しながらも非常に快適な空間になっていた。
3人用もしくは4人用ベッドの用意があるゲストルームにはそれぞれ樹木の名前が付けられていて、自分は2泊分のチェックインの後に『ゆずりは』の部屋に案内された。
いかにも人柄のよさそうな管理人の男性は、
「今日は特にこれといったイベントもないはずなんだけど、8部屋全部埋まっててね。なかなか珍しいよ」と話し、続々到着するゲストの対応に追われて一人忙しそうにしていた――その傍らで、シャワーのお湯が出ず困惑していた他国のゲストに、底抜けに明るい弾丸トークで給湯パネルの操作を教えていた喜寿の女性こそ、本稿のハイライトである。
最寄りのコンビニで30円割引になった海苔弁当を購入し、夕食のためにゲストハウスの共有スペースを訪れた午後6時。弾丸トークの女性は、そこで手のひらサイズの画用紙を幾枚かテーブルに広げていた。
本日はもう外出予定はないのだろう、リラックスウェアとして頭には紺地の柄バンダナ、その身には上野動物園のお土産Tシャツをまとった小柄な彼女は自らを「はなちゃん」と称し、
「私? 私はスタッフさんじゃなくて『遊び人』よ」
と朗らかに笑って同席を許してくれた。
はなちゃんが館内設備に詳しいのは、これまでにも何度か宿泊経験があるからだそうで、聞けば、今回は翌日近くのカフェで催されるプチイベントでこどもに紙芝居を披露するための前泊なのだという。住まいがあるのは茨木県の結城市。遊び人と自称するが、さながら大道芸人といったところかと勝手に納得する。
共有スペースにははなちゃんと自分の他にすでに一組の男女が着席し、パックのお惣菜や日光誉の酒瓶を並べて夕飯をとっていた。四十代ほどに見えるその男女は10年前に韓国からやってきた東京在住のご夫婦で、周囲との会話は流暢な日本語で、二人の間の会話には韓国語を用いながら翌日の旅行の計画を立てていた。
ご夫婦からデザートのさくらんぼを頂戴し、同じテーブルに並んで腰掛けると、ご夫婦と自分は期せずしてはなちゃんに対面する形になった。
はなちゃんの手元では紙とハサミが絶え間なく動いている。
じっと見ていると、はなちゃんは突然すっくと立ちあがり、
「明日披露するのは紙芝居なのだけどね、普段は『紙切り遊び人』をやってますから、ちょっと実演してみましょうね――あっ、合いの手とかはなくていいのよ。皆は夕ごはんを食べててね。はなちゃんが勝手にやるだけですから」
紙切り。紙をハサミで切って形を作る即興芸。
なかでもはなちゃんが得意とするのは、半分に折った紙をハサミで切り、切り終わった紙を開いたときに左右対称の図案を完成させる切り紙で……
♪ちょうちょ~ ちょうちょ~ なのはにとまれ~
加えて、人をわくわくさせる楽しげな歌唱もお手の物である。
はなちゃんは童謡ちょうちょうを歌いきると同時に紙を切り終え、ハサミを置いた。
折りたたまれた色画用紙を両手でそっと開けば、たちまちに一頭のチョウが現れる。
標本のシルエットをなぞったかのような見事なチョウの形。
前翅と後翅の間に然るべき切込みが入っているために、指でつまんでひらひらと動かせば本物そっくりにはためいた。食事も忘れて驚嘆するご夫婦と自分を、はなちゃんは順にAさん・Bさん・Cさんと呼んで、「これはAさんにプレゼント」と旦那様の手に紙のチョウをとまらせた。
♪とんぼの めがねは みずいろめがね
と歌えばはなちゃんの手元からトンボが飛び立っていく。
その後も、クワガタムシやカエルなど、はなちゃんのハサミが通った紙片を開けば無数の生き物が跳び出してくる。しかしはなちゃんがカマキリを切り出すと、Bさんこと韓国出身の奥様は眉根を寄せた。
「韓国では、カマキリは触れるのも恐ろしい虫として皆から嫌われています」
カマキリに寄生するハリガネムシに関係しているのだろうか。日本ではとりわけカマキリを忌み嫌う風潮はないように思うので、お国柄なのか、興味深かった。
黄緑の色画用紙を切り終え、半身のカマキリを掲げたはなちゃんは、
「カマキリは完全に紙を開かずにちょっとだけ立体にして、こうして腰を反らせてあげましょうね。それから、両の鎌は胸のところでお祈りするみたいに合わせてあげれば、ほら完成。ぐんとカマキリらしく見えるでしょ」
前脚を構えた姿が手を合わせた人間の姿に似ていることから拝み虫とも呼ばれるカマキリは、英語だとpraying mantisというそうだ。終始ピンと来ていないAさんこと旦那様に如何にしてカマキリを伝えるべきかと、全員で調べて一つ学んだ。
その後もはなちゃんはモミジやイチョウを紙切りし、
♪あ~きのゆうひ~に~ てる~やま も~みじ~
該当する唱歌がなければオリジナルの歌を披露した。
♪いちょうちょ~ いちょうちょ~ きいろにそまれ~
紙を五等分に折って切り紙で星形をつくる方法を教わり、アルコールが入っているからか三角形や六角形を生成し続ける奥様に皆で笑い転げ、やがてはなちゃんの3時間に及ぶ紙切りゲリラライブはお開きとなった。
共有スペースから去る際、不意にはなちゃんから宿泊している部屋名を尋ねられて『ゆずりは』だと答えると、
「私は『さいかち』の部屋に今日から2泊。ところで杠も槐もどんな木なのかわからないわよね。部屋のドアに木の写真も貼ってみたらどうですか、って管理人さんに言ってみようかしら。そうそう、Aさんたちにプレゼントしたものは後でCさんにもあげますからね」
はなちゃんは弾丸トークで一息に告げて「おやすみ」と手を振った。
その後、シャワールームを借りた自分がどんな樹木か見当もつかない『ゆずりは』の自室に戻ってくると、PP袋にまとめられた花やクワガタムシの切り紙が床の上にあった。入口付近に落ちていたそれはおそらく、ドア下の隙間から差し込まれたのだろう。
はなちゃんは共有スペースから解散した後も、Cさんこと自分のために紙を切ってくれていたのだ。もしかしたら韓国出身のご夫婦(Aさん・Bさん)のもとにも公平に切り紙が贈られているかもしれないが、はなちゃんは二人に部屋名を聞いていただろうか。
自分は、先刻のはなちゃんの言葉が冗談ではなかったことに気づいて、思い掛けない親切に嬉しさを感じる反面、どこか申し訳ない気持ちになった。明日はイベントでこどもたちに紙芝居を披露する予定なのだから、それこそ早く体を休めて明日に備えるべきなのに。
……『さいかち』の部屋にお礼を言いに行くには夜も遅すぎる。
自分は床からPP袋を拾い上げ、追加でいただいた切り紙の完成度に一通り歓声を上げてから、はなちゃんが話していたイベント会場のカフェを調べて明日の旅の計画を決めた。
>②へ続く