那須の名所旧跡に「遊行柳」と「殺生石」という二景がある。
が、その実体はなんてことはない「木」と「岩」に過ぎない。
現代のサービス精神溢れる観光スポットに慣れてしまった自分などは、いざ古人の憧れの地であった名所旧跡を訪れてみると、その素朴さにしばしば唖然としてしまうが、和歌に詠み込まれるような土地とは本来そういうものである。
歌枕に代表される名所旧跡は、手ぶらで来る者をあの手この手で喜ばせてくれるわけではなく、基本的にただそこに在るだけだ。特別に歓迎はしない。客人に世話を焼かない。これはつまり、このような場所では、眼前の景色だけでなく“背景”を楽しむ教養が求められるということである。
今回は、栃木県の旅の最後に立ち寄った、なんてことはないただの木と岩の所感とその背景を、折角なので書き残しておこうと思う。
「遊行柳」が初夏の風になびく地は、かつて奥州街道の宿駅であった那須町芦野にある。
GoogleMapの表示に従うなら、福島県へと北上する国道294号線を脇に逸れた田園風景のなか。
ゆっくりとカブを走らせれば、田植えを終えたばかりの水田には短い苗が行儀よく整列し、水面には那須野の広い青空が映っていた。那須岳と八溝山の山影は互いに遠く、辺りに高い建物は皆無。車通りもまばらな平日のお昼過ぎだった。国道沿いとは思えぬのどかさに浮かれた自分は一度遊行柳を通り過ぎ、慌ててUターンした。
田園にぽつんと佇む施設・遊行庵の隣の駐車場にカブを停め、案内に従ってささやかな柵囲いの参道を進む。右を見ても左を見ても水田。息を吸い込むと土の匂いがした。そんな参道のちょうど半ばに古木が2、3本密集して植わっていて、その内の1つが遊行柳である。
石の玉垣に囲まれた柳に近寄ってみる。枝が剪定されていて葉は少ない。
――本当に何の変哲もない朽ちかけの柳だ。
それでも、立て看板と石碑と歌碑と投句箱が置かれているので、これこそが例の柳だと嫌でもわかった。
ちなみに、参道をさらに進めば石製の鳥居があって、つきあたりの杜には上の宮湯泉神社が鎮座している。社殿は楚々としたものだが手入れが行き届いており、地域住民に大切にされていることが伺えた。また社殿横の大イチョウは樹齢400年を超える見事なたらちねで、古木の威厳としてはこちらに軍配が上がる気がした。
しかし件の歌枕は、平安時代の法師・西行がその木陰で立ち止まったとされる柳のほうで、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が西行を真似て田植えを空想したほうだ。両者の訪問は歌枕としての人気に拍車をかけたが、実際のところ、遊行柳を一躍有名にした立役者は他にある。観世光信によって作られた室町時代初演の謡曲『遊行柳』である。
謡曲『遊行柳』は、つまらない要約をするなら、仏教を広めるために奥州を遊行していた尊酷上人が柳の精霊に出会う話だ。
ある老翁が上人を旧街道の柳のもとへ道案内し、お礼に上人から念仏を授かるが、老翁は実は柳の木の精霊だった。その晩、精霊は上人の夢に現れて「念仏のお陰で成仏できた」と謝辞を伝え、優雅に舞って消えていくという内容である。詳細を大胆に割愛していて恐縮だが、この話には、心を持たないと思われてきた草木や国土だって仏になれる(仏性がある)と説く「草木国土悉皆成仏」の仏教的発想がある。
遊行柳はそんな伝説の地というわけだ。
以上の背景を知ったうえで再び柳を仰げば、くたびれたシルエットが途端に趣深くなる。しだれる姿に幽玄な舞を思い描いて、一句読んでみようかと意欲が湧いてくる。とはいえ自分は、西行や芭蕉と違って咄嗟に良句を捻り出すことなど到底できず、それになんだか柳の精霊にじっと観察されているような気がしてきたので、念仏の代わりに一礼して遊行柳を後にした。
「殺生石」のある那須岳の麓は、今も老若男女が訪れる観光地である。
その立地は、遊行柳のあった田園地帯とは打って変わって、活火山のゆるやかな斜面になる。人里を離れ、那須街道を黙々と走れば、すれ違ったパトカーから「クマ出没注意」のアナウンスが聞こえてきた。
こじんまりとした殺生石園地の駐車場でヘルメットを脱ぐと、硫黄の臭いがつんと鼻を突く。
異臭の理由は単純明快。そこが温泉地帯であるからで、泉質の異なる8つの入浴施設は那須温泉郷の売りである。なかでも最古の歴史を誇る共同浴場「鹿の湯」が殺生石の徒歩圏内にあるが、これについては不肖ながら、足湯で試した源泉の熱さにすっかり戦意喪失してしまった。
辺り一面に転がる岩石を鑑賞しながら、整備された木板の遊歩道を進む。左手におびただしい数の石仏が現れてぎょっとするが、それらはとりわけ大きい教伝地蔵を除き、一般希望者の浄財によって建立されたものなので殺生石と関係はない。ただ、草も生えない殺風景を千体地蔵が見つめることで、地獄にも似た景色の異質さが強調され凄みが増していた。
数分も歩けば遊歩道の最奥に至り、いよいよ殺生石とご対面。
硫化水素をはじめとした火山ガスを漂わすために、動物は近づけば死に至る。そんな生物学的理由から「殺生」の語を冠された殺生石だ。おどろおどろしく物騒な形を想像して顔を上げれば、そこには高さ2m×横幅4mにもなろう巨大な岩石が――
真っ二つに割れ、断面を晒してごろりと横たわっていた。
唯一注連縄を掛けられているから、あの拍子抜けな割石こそが例の岩に違いなかった。それにしても割れていたとは。インターネットで調べてみたら割れたのは2022年3月とのことで、果たして自然現象かあるいは人為工作か、はたまた吉兆か凶兆か等、さまざまな憶測が飛び交っていた。前述の遊行柳と異なり、殺生石の伝説はわりかし有名だ。
殺生石の伝説は、要点だけかい摘んで記すなら、悪行を尽くした九尾の狐(キツネの妖怪)が石に変身したのち封じられたという話である。
その昔、美しい女性に化けて各国で悪行を重ねていた九尾の狐は、鳥羽天皇の御世に来日し、玉藻の前という名で朝廷に仕えて日本を滅ぼそうと画策した。しかし陰陽師がこれを見破り、九尾の狐は遁走。那須野ヶ原で射止められたが、姿を巨石に変え、毒を吐いて周囲に危害を加えたという。なお現在、自分がこうして殺生石を間近で鑑賞できるのは、後代に那須を訪れた高僧・源翁和尚が九尾の狐の恨みを封じ、瘴気を減らすことに成功したからだとされている。
殺生石はそんな伝説の名残であるわけだ。
以上の伝説を踏まえたうえで再び岩に相対すれば、動植物の生息を拒む過酷な周辺環境が、どことなく妖艶な雰囲気を纏っているような気がしてくる。硫黄臭にファンタジーな要素が混じり、火山ガスが妖怪の呪いに様変わりする。そんな物語の場所で、ひとこと気の利いたことを言えたら格好いいのだが、不思議と毒気にあてられたみたいに考えがまとまらず、法力を使えない自分は長居を避けて立ち去るだけだった。
どちらも那須の名所旧跡でありながら、そこにある“背景”は全く別物だ。
かたや、田園地帯にあるただの木。教養のフィルターを通して見れば、成仏を喜ぶ信心深い精霊が宿った柳。
かたや、火山の麓にあるただの岩。教養のフィルターを通して見れば、妖怪が化身して呪いを振りまいた姿。
古人も多く創作意欲をかきたてられた歌枕。名所旧跡の楽しみ方に正解不正解はないが、それぞれについて前者と後者、どちらの解釈ががわくわくするかと問われれば答えるまでもないだろう。