栃木を旅するなかで、自分に驚いたことがある。
日光東照宮の賑わしさからわずかに離れた、大谷川の小渓谷・憾満ヶ淵でのことだ。
両岸には男体山から噴出した巨岩奇岩が連なり、急流を砕く荒々しい音は命名の由来に偽りなく、不動明王の真言を唱えるようにどうどうと響いていた。ひらかれた史跡探勝路を上流に進めば、およそ70体の地蔵の列がずらりと並んで見えてくる。ちなみに、地蔵の数を濁したのは故意であり、その地蔵群は行きと帰りで数が変わるという噂のために「化け地蔵」と呼ばれていた。
赤い帽子と前掛けをつけて、整然と並んだお地蔵様。
いっちょ化かされてみようじゃないかと、テンポよく数を数えて歩いた。
地蔵は体が苔で覆われているもの、表情が欠けているもの、頭部が失われているものなど、個性豊かで鑑賞が捗った。仕舞いにはこぶし大の石と化しているものもあって――と、微笑みかけた瞬間ふと我に返った。
今、自分はどうしてこの石をお地蔵様だと思ったのだろう。それだけ見れば取るに足らない石っころで、仏の面影などまるでないのに。
その理由に気づいたとき、自分の危うい素直さに我ながら愕然とした。
例の石が化け地蔵の列に並んでいたから、という配置の状況も判断要因ではあった。しかし自分はもっと単純に、その石っころが赤い前掛けをつけていたから、それをお地蔵様だと思ったのである。自分は、前掛けの有無で石の尊さを判断する輩なのだった。
霊感などないくせに、神仏を示すマークがあると急に姿勢を正す安直な性質。道端に鳥居のかたちの看板を設置したら不法投棄が減少した、というどこかの街の事例を思い出して、少し決まりが悪くなった。鳥居があるからその場を聖域と解釈する。玉垣に囲われているからその木を遊行柳と仰ぎ、注連縄が掛けられているからその石を殺生石と見るように。
しかしこの気まずさの裏を返して強気に出るなら、石っころをお地蔵様にしているのは赤い前掛けである。前掛けがなければただの石っころ。前掛けをつけられて石は地蔵になる。往時の尊さを知る人たちが後代に付け加えた、玉垣や注連縄や前掛けが、遊行柳や殺生石や地蔵の存在を今に繋いでいるのだ。
後付けの装飾が示す存在があれば、そのものの形状がオンリーワンを示す例もある。
例えば、大谷石の崖面に彫られた千手観音。体に対して手腕の数が明らかに多いキャラクターの筆頭は、間違いなく千手観音だろう。一方愉快な思い出を振り返れば、切り紙師のはなちゃんが紙から生み出す昆虫は、そのシルエットを正確に捉えたものであった。輪郭線で対象が判る妙義。立派な両鎌を祈るように合わせた敬虔な昆虫は、万国共通カマキリだった。
赤い前掛けのような装飾がなくたって、存在自体がわかりやすい身体的特徴を伴っていれば、それが何なのか容易に特定できる。手が多いから千手観音で、鎌があるからカマキリ。一目瞭然で気持ちいい。であるならば、胴体から手足2本ずつと首が伸びていて、手足の先には指各5本、首の先には丸い頭が乗っかっているのが人間。自分は、その形状をしていれば生死問わず人間だと判断して親近感を抱く。
ただ、ここに1つ問題がある。
我々が姿形で判別できるのはほとんどの場合生物種までなのだ。
毎日別の服を着て、年を重ねるごとに老いさらばえていく”個人”を、外見の要素で特定するのは至難の業ではないだろうか。髪が長いから○○さん、紺色のジャケットを着ているから□□くん、というような上辺の判別は仲間内でしか使えない。まして実体のない故人に対しては――
他人が“その人”を“その人”と判別するときの要素は、“その人”を“その人”たらしめる唯一無二の何かに違いない。でもそれって一体何だろうか。
・・・
栃木県北西・那須エリアに位置する大田原市には、全国に知られる弓の名手がいる。
名は那須与一(宗隆)。平安時代末期に源氏に仕えて戦った武将なのでもちろん故人だ。当然会ったことはないし声も容姿も知らない。念のため補足しておくと、那須与一は、源平合戦における屋島の戦いで、船上に掲げられた扇の的を射抜いた若き武士だ。戯れとはいえ、失敗すれば自害確定の状況下。神仏に祈りを捧げ、風も凪いだと見えた一瞬に矢を放てば、矢は扇のそばをひいふっと射切って扇を吹き飛ばしたと伝わる。見事プレッシャーに打ち勝った那須与一の雄姿は、そんな風に『平家物語』のなかに華々しく描かれている。
ゆえに自分は那須与一を知っている。
那須与一の功績を聞いたことがある、と言ったほうが正確かもしれない。
源氏と平家が火花を散らした古戦場において、弓を得意とする武将は那須与一のほかにも大勢いたに違いない。しかし自分はどうにも、名もなき彼らを具体的に想像することができない。おそらく那須与一が特別なのだ。それは何も名前や家柄が伝わっているから、というだけではない。那須与一が特別なのは“極限状態において扇の的を射抜いた人”として万人に認識されているからだ。言い換えれば、那須与一にはエピソードがある。扇の的のエピソードが、彼を、弓の上手な一介の武士ではなく“那須与一”にしている。
さらに追究するなら、その武勲が那須与一の経歴として箇条書きされるのではなく、臨場感たっぷりの物語として歌い継がれた点がミソだろう。
エピソードとは挿話・逸話を指す言葉であり、古代ギリシャ語の「episoideion(追加されるもの)」が語源にあるという。よってひとり1つとは限らないし、積み重ねられた雰囲気を覆すようなエピソードが後に追加されたりもする。もっと卑近な例を挙げてみよう。
幼い娘を持つ父親が数年ぶりに単身赴任から帰省したとする。娘が喜ぶだろうと思って、在りし日の娘が夢中になっていたアニメの玩具をお土産にするが、成長した娘の反応はイマイチ。父親にとって“アニメ好き”な存在だった“△△ちゃん”には、知らぬ間に趣向の異なるエピソードが追加されていた、というよくある話だ。新規エピソードは、“友達にアニメ好きをからかわれて韓流アイドル推しに転身した”とか、“推しの配信を見るためのスマホが欲しくて母親と喧嘩している”とかそんな感じがいい。
個人的な好みにもよるが、自分は、エピソードは物語で感じたい派だ。
SNSのプロフィール欄で目にする履歴書じみた自己紹介のなんと味気ないことか。知りたいのは、その人にどんな出来事が起こって、その結果何を感じて現在に至ったのかであるのに。経歴と趣味の羅列はエピソードではない。時流に噛み付くようだが、インターネット上に軽率にアップされる日常や思い出の写真もエピソードではないと思っている。
エピソードとは話で、話とは言葉で語られるものだ。
もし“その人”が世間に顕著な功績を残したり、触法沙汰を働いたりすれば、他者が“その人”となりを語ってくれるだろう。媒体はTV、新聞、ネットニュース。他者によって語られるエピソードには拡散力と持続性があるが、内容はときに事実から遠ざかる。自分のような素直で安直な小市民は、自分のエピソードは自分で語るほかない。愚痴、批評、反省文、その最たるものが日記だ。出来栄えはさておき、自分の語彙で綴る唯一無二の記録。力まず語れば、“語った”という新たなエピソードがまた“自分”をつくっていく。これだけの文字数を割いてやっと再確認する。私を私たらしめるのはきっと――
6月も下旬のある日の夕暮れ。那須塩原にある、茶臼岳の名をいただいたゲストハウスのラウンジで獣医の青年に出会った。
イイトミと名乗った青年のお目当ては「那須どうぶつ王国」で、彼は趣味と実益を兼ねた動物園・水族館巡りの旅行中だった。聞けば、動物あるところに獣医あり、らしく、そこで知人が働いているのだという。獣医学部の進路は開業ばかりではないと知った自分は目から鱗だった。
夕食時、同席したイイトミくんは近所のスーパーで買った冷やし中華を頬張りながら、
「座右の銘ってありますか?」
何の脈絡もなく尋ねてきた。
ちなみに彼の座右の銘は『井の中の蛙大海を知らず』で、続く『されど空の青さを知る』に度々勇気づけられるのだと語った。宮崎県の海辺で育ったイイトミくんは、自戒としてではなく、ことわざが持つポジティブな意味を大切にしているのだった。反面自分は、獣医さんらしく座右の銘も動物関連なんですね、と笑って回答を濁しそのまま席を立った。
座右の銘、つまり、自分という存在を支える言葉。
答えなかったのは考えたこともなかったからだが、この機に定めておくのもいいかもしれない。いやむしろ、道中多くのエピソードに触れて感動を覚えた栃木県を旅立つ今こそ、座右の銘を刻む時機なのだ。
座右の銘は後日ここに書き留めておくと約束し、今回のエピソードは結びとする。
■栃木県で訪れたスポット(宿泊地・飲食店・スーパー等除く)
| NO | SPOT |
|---|---|
| 1 | さかなと森の観察園 |
| 2 | 戦場ヶ原、中禅寺湖、華厳滝 |
| 3 | 栃木県立日光自然博物館 |
| 4 | 霧降高原レストセンター |
| 5 | 日光東照宮 宝物館含む |
| 6 | 日光山輪王寺 大猷院 |
| 7 | 日光二荒山神社 |
| 8 | 憾満ヶ淵(慈雲寺境内) |
| 9 | 平家の里 |
| 10 | 足尾銅山観光 |
| 11 | 足尾環境学習センター |
| 12 | Mekke日光郷土センター |
| 13 | 大谷寺、平和観音 |
| 14 | 大谷資料館 |
| 15 | 安住神社 |
| 16 | 那須神社(金丸八幡宮) |
| 17 | 那須与一伝承館 |
| 18 | 那須野が原博物館 |
| 19 | 遊行柳 |
| 20 | 塩原もの語り館 |
| 21 | 那須高原ビジターセンター |
| 22 | 殺生石、那須温泉神社 |
| 23 | 栃木県の道の駅 計15駅 |